(原題:HAMNET)第98回米アカデミー賞の作品賞は、この映画に与えられるべきだった。少なくとも「ワン・バトル・アフター・アナザー」などという凡作とは完全にレベルが違う。ここ何年かの外国映画の中でも、確実にマスターピースとして記憶されるべき内容だ。時代物としての風格も、テーマの掘り下げ方も、そしてキャストのパフォーマンスの質も、満足出来る水準にまで高められている。
16世紀イングランドのエイヴォン川に面する小さな村で、薬草の知識を持ち“野生児”のような生活を送っていた女性アグネスは、若き劇作家で詩人のウィリアム・シェイクスピアと知り合い、結婚する。3人の子供に恵まれたものの、夫は作家としてロンドンで活動することが多く、村ではアグネスは子供たちだけと過ごす時間が多かった。ところがペストが大流行し、アグネスは制圧に奔走するものの、不運にも11歳の息子ハムネットが命を落としてしまう。

シェイクスピアの有名な戯曲「ハムレット」の誕生の背景にあったドラマを、フィクションを交えながら描いた北アイルランドの作家マギー・オファーレルの同名小説の映画化だ。自然と同化したようなアグネスのスピリチュアルな佇まいが、ウィリアムと出会うことによってリアルな世界とクロスしてゆく、そのスリリングなプロセスに驚かされる。
彼女が森の中で見付ける深く大きな穴は、当人にとっては冥界への入り口のメタファーであり、その闇の中に一度入ると決して出られない。ハムネットもそこに吸い込まれて、この世の者たちとは二度と会えない存在になったと、アグネスの中では位置付けられていた。しかし、それが舞台袖の暗闇とリンクして認識されれば、現実世界の事物へと転化するのだ。
つまり、ハムネットの死は森の奥深くに封印されるようなものではなく、彼が生きた意味とその生前の振る舞いは、文学と芸術のはたらき(王子ハムレットの生き様)によって何時でも現世に存在感を獲得しうるという、高邁なコンセプトを獲得にするに至る、その図式には感心するばかりだ。
クロエ・ジャオの演出は文句の付けようが無く、静謐な序盤から見応えのある恋愛劇・家族ドラマとして進行する中盤、そして圧巻のラストまで、物語を力強く牽引してゆく。主役のジェシー・バックリーは名演と言うべきで、オスカー受賞も納得だ。
ウィリアムに扮するポール・メスカルをはじめ、エミリー・ワトソンにジョー・アルウィン、そしてジャコビ・ジュープら子役たちも、実に良い仕事をしている。ウカシュ・ジャルのカメラによる美しくも神秘的な映像と、マックス・リヒターの効果的な音楽も忘れがたい。
(投稿日時 2026/5/4 6:00:07)